2013/03/31

被災地支援活動報告 − 東日本復旧復興計画支援チーム Tohoku Revitalization Support Team (TRST) – Activities Report



私は、本務校東北芸術工科大学の学生、同僚有志らと
任意団体「東日本復旧復興計画支援チーム/Tohoku Revitalisation Support Team (TRST))」を組み、
東日本大震災および平成23年新潟・福島豪雨災害の被災地において支援活動を行っています。
その一部をご紹介します。
また、関連リンクを以下に記載します。

東日本復旧復興計画支援チーム facebookページ:
http://www.facebook.com/pages/東日本復旧復興計画支援チーム/282010391858786


Tohoku Revitalization Support Team (TRST) – Activities Report as of 9 November 2011:
http://blog.tuad.ac.jp/ae/archives/239

Tohoku Revitalization Support Team (TRST) – Rapport des actions engagées en date du 9 Novembre 2011:
http://blog.tuad.ac.jp/ae/archives/241

Tohoku Revitalization Support Team (TRST) – Hilfsleistungen für die Stadt Ishinomaki, Stadtteil Ogatsu-Myojin, 2012:
http://blog.tuad.ac.jp/ae/?p=262






















2013/03/28

風景を読む Reading landscapes

福島県田村郡常盤町(現田村市)で描いた谷津田の用水路、廣瀬、2004年
  

 

目の前の風景はなぜそう見えるのか? このことに、
私はいつもなみなみならぬ興味を抱いてしまいます。
山のかたち、雨や雪の降り方、草木の種類、村や町の位置、
建物のかたちや庭のつくり、人びとの暮らしぶり……
どれにも当たり前と受け止めてしまうのでは済まされない
理由があると思うのです。
 

私は「風景の観察」を行うようになりました。
風景をスケッチしながら、です。
目に見えるもののそれぞれについて細かく把握ができていなければ、
風景は描けません。
自然、そこにあるものごとを注視する必要が生じます。
知らないこと、分からないことに気づきやすくもなります。
それらについては絵を描き上げてから調べ、
分かったことは絵のかたわらに順に書き添えます。
 

そのように、場所をかたちづくる様々なものごとや、
それぞれのものごとの間にある関係を、
私は読み進めます。
「風景を読む」ことから、私のデザインは始まります。

 
図版出典: 廣瀬俊介『風景読本―県中地域の風景を読む』(福島県県中建設事務所、2004年)
 
初出: 東北芸術工科大学 建築・環境デザイン学科 教員コラム  
廣瀬俊介「風景を読む 」2009年7月10日
http://gs.tuad.ac.jp/ae/blog.php?cID=7&ID=28

2013/03/25

マコガレイの干物から − 四倉海岸視察 2006 晩秋 About dried dab, a kind of flatfish in Yotsukura, Fukushima






























マコガレイ(Pleuronectes yokohamae)の干物を炭火であぶると皮が香ばしく、お酒も進みます。
ここは、いわきの四倉漁港です。「四倉ふれあい市民会議 http://fureai.yotukura.net/」の皆さんと
町歩きをした後で、美味しい魚をご馳走になりました。

いわきには四倉のほかいくつもの港があり、水揚げされる魚が少しずつ異なります。
海底地形の違いから行える漁の形式はかわり、棲む魚も変化します。
こうした話を聞くほどに、私は大地の生いたちや風土の成りたちが知りたくなります。
四倉ならではの広場や公園を設計するとしたら参考となるでしょうし、
魚の美味しさの理由をはじめとして 地域の特徴が丁寧に説き明かされた冊子があれば、
人びとは四倉での時間をより味わい深く過ごせるようになるとも想像できます。

私は、こんなことの一つひとつが環境デザインだと考えています。


初出: 東北芸術工科大学 建築・環境デザイン学科 教員コラム
廣瀬俊介「マコガレイの干物から 」2006年12月4日
http://gs.tuad.ac.jp/ae/blog.php?cID=7&ID=43

四倉海岸視察 2012/11/10 Landscape observation in Yotsukura, Fukushima 10/11/2012

2006年の秋、いわき市四倉町にて「四倉ふれあい市民会議」の皆さんと
2日間町歩きをしました。
それまでにも四倉海岸には幾度か出かけたことがありましたが、
町にお住まいで、町のこれからを考えて活動する方々と、
風景を読みつつ意見を交わしながら散策をしたことはありませんでした。
メンバーには同年代の方が多く、楽しい時を過ごしました。

その四倉海岸もまた、2011年3月11日の地震と津波の被害を受けました。

福島県は、海岸から内陸までにおい
様々な施設により多重的に津波防災を図る検討を行い、
 堤防の嵩上げと共に「頻度の高い津波を超える津波に対して、
津波エネルギーを減衰させる」「防災緑地」の整備を決めています。
同県は「防災機能だけでなく、地域の日常利用や景観の保全・再生の場、
また震災復興に寄与する施設としての整備について
十分な配慮が求められています。」とホームページ上でうたっています。

それは、この四倉海岸においてはどう可能なのか? 

仙台海岸ですでに問題になっている、津波に耐えて生きのびた、
あるいは「再生」ともいえるように浸水したあとに再び出現した生物たちが
盛土に埋められてしまうようなことはないのか?(人命を近視眼的に優先すれば
「生物を盛土で埋めても仕方がない」という誤解が生まれます)
という疑問を抱いた私は、現地で思考するために、
6年ぶりに四倉海岸を訪ねてきました。

  

























北辰妙見尊のまつられた海岸段丘の上に咲くツワブキ(Farfugium japonicum)の花


 津波被災範囲図(日本地理学会)。
赤い範囲が浸水区域、紫で示された範囲が特に建物に被害が見られた箇所となります。
国道6号のうち浸水を免れた区間は自然堤防上に当たります。
また、図中央から下に位置する最も長い紫の範囲は浜堤がくぼんで
周囲より地盤が低くなったところに当たります(後ろに地形分類図を引用します)。
出展: 日本地理学会「津波被災マップ」



























津波被災範囲図中の、図中央から上の紫の範囲を写した写真。



























消波ブロックが遠浅の海底地形を変えると、
波浪や津波のエネルギーの減衰力も低下される。
遠浅の地形は波浪や津波に対して抵抗をもたらし、

うねりを小さくさせる効果を持つ。
しかし、川からの砂の供給が減って砂浜が縮小されてきたのと共に、

消波ブロックが汀線と平行に設置されて、本来は岸から沖へ戻る海水の流れが
汀線と平行に流れて突堤などに当たり、強い沖への流れとなって
岸から運んだ砂を沖合へ流してしまうようになった(沖から岸に海水が流れ、
 岸から沖に戻る循環が健全であれば、砂が岸から波に運ばれても
続く流れに岸へ再分配されることになり、遠浅の地形も保たれて
波浪や津波のエネルギーを減衰し得る)。


出展: 「いわき市海岸保全を考える会紹介」『EQUAL Vol. 25』(いわき地域環境科学会、2012年)89、90

  

























四倉海水浴場のある砂浜から、漁港、海岸段丘を見る。



























海岸段丘面と斜面に形成された樹林。
高木層の構成種として私が見たのは、

クロマツ(Pinus thunbergii)やスギ(Cryptomeria japonica)などの常緑針葉樹、
シロダモ(Neolitsea sericea)、ヤブツバキ(Camellia japonica)といった常緑広葉樹、そして
エノキ(Celtis sinensis)、コナラ(Quercus serrata)などの落葉広葉樹でした。



























同様の構成による樹林は内陸部にも見られます。
 


























林縁にはトベラ(Pittosporum tobira)やヒサカキ(Eurya japonica)、
ネズミモチ(Ligustrum japonicum)などの低木が生えます。
いずれも暖温帯性の常緑広葉樹です。 

























































そして、6年前に出かけた時と同じくツワブキの黄色い花が咲いていました(北辰妙見尊)。
なお、写真の地盤の高さは標高約18mに当たります。

ちなみに、それぞれの丘が、漁に出かけた際に自身が乗る船

位置を確かめる目印にされたからか、いくつかの丘に神社がまつられています。
北辰は北極星、または北斗七星を指すとのこと。


トベラやツワブキは、四倉海岸の北隣に位置する蟹洗海岸の海食崖上に生えてもいます。
また、写真を写した地点から約200m北に位置する波立(はったち)海岸が、

ツワブキ群落の形成される北限となります。

小田隆則『海岸林をつくった人々−白砂青松の誕生』(北斗出版、2003年)37頁に

以下の文があります。「波打ち際近くの空中の塩分濃度は(…)
一般に地表に近いほど高く、高さが増すとともに急激に減少し、6~7mの高さになると
おおむね地表の4分の1以下に、20~30mの高さになると10分の1以下になってしまう。
したがって小島や崖などは風あたりはきびしそうに見えても
それほどの塩分は含んでいない。このため、暖温帯地域の海岸段丘や小島などでは
クロマツよりも耐潮性が低い照葉樹林が成立しているところも多い」。
 

千葉県森林研究センター研究員であった同書の著者は、
藤哲也『森林の防風機能』(日本治山治水協会、1988年)20頁より
「汀線から離れた各地点における捕捉塩素(塩分)量の垂直分布」図を引用して、
上記の説明を行っています。

少し引いて見た蟹洗海岸。奥の岬の頂部は海抜59mに達します。
前述の波立海岸はその裏側(北側)に位置しています。




























北辰妙見尊のある海岸段丘を成すのは、主に凝灰岩質シルト岩、砂岩等の未固結堆積物。
蟹洗海岸の露頭に見られる礫は、妙見尊社の周囲やそこから内陸側に下りる

切り通しの道に沿った露頭には見当たりません。



























表層地質図を地形図と重ねて読むことで、地形発達史の理解が進められます。
ごく簡単なところでは、図左上に赤茶色で示された花崗岩質岩石は福島県の浜通りと中通りを分かつ阿武隈高地を主にかたちづくっていて、それらが風化してできた砂(石英粒や雲母粒)が幾筋もの河川を介して海に吐かれ、沿岸流に岸へ運ばれながら砂浜が形成されていることが解ります
出典:『1/50,000土地分類基本調査(表層地質図)「平」福島県(1994)』




























砂浜の無植物帯が終わりコウボウシバ(Carex pumila)の生育する区域がはじまります。
この海岸は「四倉海水浴場」として人々に利用されていますが、

1985年作成の植生図には「砂丘植生」が形成されていると記述され、
現在もさまざまな海浜植物が飛砂の程度と空中の塩分濃度の変化にあわせて
生息箇所を分けている様子が確認できます。



























汀線から引いたところにできた塩性湿地にはシオクグ(Carex scabrifolia)が群生していました。
























































潮性湿地から離れた箇所に単独で生育していたシロザ(Chenopodium album)。

 

























好砂性のハマニガナ(Ixeris repens)。
砂の移動がはげしい「半安定帯」に生えるそうです。
風による飛砂があるところに生えているわけですから、確かにそうですね。




























好砂性のコウボウムギ(Carex kobomugi)。ハマニガナと共に、小砂丘の前線に生育していました。


ハマヒルガオ(Calystegia soldanella)とハマニンニク(Elymus mollis)が生える小砂丘上のくさむら




海浜植物がクロマツの実生。
小砂丘の後背部に当たる、ハマヒルガオなどにかわってススキ(
Miscanthus sinensis)が生える箇所で
見ました(一般的にはチガヤ Imperata cylindrica 群集に入り込んだススキが優占した箇所と考えられますが…)。

「飛砂は、生育基盤である土壌を不安定にすると同時に、つぶてになった飛ぶ砂が

樹体の枝葉を傷つけるため、塩分が容易に樹体内に侵入し、塩害を引きおこしやすくする。 
このため砂丘地では二重に塩害に強くなければ生き残れない。高木性の樹種で
その条件を満たしているのは、クロマツだけである」(小田前掲書、37頁)。
「わが国で、海岸のマツ林を御立山などの禁伐林に指定して、本格的に植林がはじまるのは、

江戸時代になってからである。(…)福島県の新舞子浜の海岸林は、正保三年(1646)に
平藩の初代藩主内藤政長が海岸の湿地帯の開墾と防潮、防砂のために植林したという」(小田同書、109頁)。
「福岡の黒田藩士・加藤鉄心は、承応年間(1652~1655)に、粘土をつめた米俵のなかにマツ苗を植えつけ

それをそのまま砂地に埋める方法をとった。この植えつけ方法は、ほぼ同時期に
平藩(福島県)でも行われた」(小田前掲書、147頁)。


 

























マサキ(Euonymus japonicus)の実生。
クロマツと同じく、小砂丘の後背部、防潮堤のすぐ前で確認しました。

「クロマツ林やアカマツ林(
Pinus densiflora)のほうが海から飛来する海水や塩分を防ぐ飛塩捕捉機能が
広葉樹林にくらべて高い(…)しかし、海岸林の機能は塩風防止だけではない。
飛砂防止や津波軽減などのはたらきもある。
これらについては、マツ林の下層に広葉樹が生育している林の方が効果があるのは研究上も明らかだ。
問題は(…)広葉樹はクロマツに比べると塩害に対してかなり弱いことだ。もし林の大部分が広葉樹に占められると、
数十年に一度でも大型台風などに見舞われれば広葉樹は壊滅的な被害をうける。
そこにふたたび海岸林を成立させるには最低でも30~40年はかかる。その間の防災をどうするのか。(…)」
したがって、前線部分は景観を重視してクロマツの純林とし(この文脈は本書を通してお読みいただかなければ理解できないかと思います。廣瀬註)、
内陸部は防災機能を効果的に発揮させるための上層クロマツ、下層広葉樹の複層林とすべきと考える。
ただし、複層林として維持していくにはかなり緻密な管理が要求される」(小田前掲書、241-242頁)。

なお、「上層クロマツ、下層広葉樹の複層林」的構成は、いわき市内の新舞子浜海岸林などに見られ、その津波軽減効果が高かったことが、前掲『EQUAL Vol. 25』(いわき地域環境科学会、2012年)に報告されています。


小砂丘を横から見る。植物の種数は前線部から後背部へと増えていきます。



























JR四ッ倉駅に近い、栗原邸跡の生垣。
マサキ、エノキ、シロダモなど、近隣の段丘上や斜面に生育する植物が利用されています。
生垣の右奥には、およそ300年前に植えられた旧浜街道のクロマツが見えます。




























視点を変えてみます。
町中の生活空間と植物について、少しだけ。
中央の白い看板には「木村医院 患者さん通路」とあります。

























































「木村医院 患者さん通路」は、このような草木の多いやわらかな「肌合い」を持つ路地でした。
地域で実現されてきた生活の風景は、被災地の生活再建を図る上での(小さくとも大切な)指標になると思います。





























地形分類図と津波被災範囲図を見比べると、三角州や浜堤などの微高地とそれより低い谷底平野や砂浜に
浸水範囲が集中していることがわかります。
もちろん地盤の高低の問題が基本にありますが、地形発達と地質は関係し、それが地下水位や地盤の強度、

ひいては液状化の危険性の高低などに結びつくため、土地利用の再考にあたって土地の形質を改めて確認することは
人間が安全に生活を営むために不可欠であると考えられます。
出典:『1/50,000土地分類基本調査(地形分類図)「平」福島県(1994)』




























北茨城市海岸林。
車窓からながめただけですが、砂丘後背部に海岸林があり、海岸線と平行してできた自然堤防、

ないしは砂州の上に道が通されて建物が並び、それより地盤が下がった(おそらくは元の)後背湿地に水田がつくられた、
地盤の高低や乾湿に則して土地利用が行われている例といえます(震源から遠いこともあるかと思いますが、
津波の影響や地盤沈下が一見してわかりません)。

ただし、生物多様性保全(それは人間に対する生態系サーヴィスの源となります)や、河川洪水への備え、

そして気候変動による海面上昇(「21世紀末に海面が0.3m上昇すると、現存する砂浜の56.66%にあたる10810haの浸食が生じる」。小田前掲書、238頁)への備えは、
この風景に足りていないと思います。
 

これらの観点も含めて(総合的に、未来の危機に備えて)、東日本大震災からの復興は
進められていくべきだと、私は考えます。




浜通りのスケッチ 1997 Sketches of Hamadori, Fukushima, 1997


「浜通り」は福島県沿岸部の地域名です。昨年3月の東京電力福島第一原子力発電所での事故後、
周辺地域に住む人々は避難を強いられることになりました。

かつて、私はランドスケイプデザイナーとして、道路設計プロジェクトのために

浜通りの一部地域の環境を調べたことがありました。
そして、地域の自然と社会の関係の結果としての風景を観察するために、
私はスケッチを描いていました。

そのスケッチを、浜通りから離れて暮らす方々とこの問題に関心を持つ方々に、

ご覧いただきたいと思います。


“Hamadori” is the name of the region on the coast of Fukushima Prefecture. 
After the accident at Tokyo Electric Power Company's Fukushima No. 1 nuclear power plant last March, 
people living in the surrounding area were forced to evacuate.

I have researched about the environment of a part of Hamadori for a road design project as landscape designer. 

And I drew some sketches to observe landscape 
as a result of the relationship between nature and society in the region.

I would like to show to the people from Hamadori and anyone interested in this matter.
















小高川にかかる白金橋の上から
上下流を描きました。
カイツブリ(Tachybaptus ruficollis)は
小柄ながら大食漢で、
その餌場になるということ
生物生産量が貧しくないと
推量できる指標として、
私は考えています。


 
















旧小高町浦尻の綿津見神社を描いた絵。
社のある丘から集落のある浜へ下りる際に見た、

海食崖に波が打ちつける様子が特に印象的でした。




















海食崖の上の防潮林を抜ける道(上)と
防潮林越しに見る海(下)。




















ヤマセ除けの樹林帯(上)と
屋敷林(下)。
二つの気候景観




















双葉海浜の森(下はその平面図)。
防潮林のクロマツ(
Pinus thunbergii)の樹下には、
たくさんのアジサイ(Hydrangea)が育っていました。




大熊町熊川の
福島県栽培漁業センター周辺を
描きました。
道路拡幅に際して既存樹林の伐採が

必要な計画になっていたため、
上下線を分けて樹林をその中央に残す
アイデアを絵に残していました。
今考えればそれはそれほど生態学的に有効ではなく、

樹林を丘の斜面林に連なるかたちで残すため道を大きく迂回させる提案をすべきでした。













  

熊川沿川の風景。





















馬の背岬、大熊町。


 















富岡町の小良ヶ浜へ下りる道すじ。












漁具などを置いた小屋。


 








小良ヶ浜漁港の跡。
海食崖の上のクロマツは、
馬の背岬と違い崖の縁の際に迫って
生えています。
そして、その林床には

ワレモコウ(Sanguisorba officinalis)などの
海岸性ではない植物が生育していました。
一方、波打ち際に下りると

ラセイタソウ(Boehmeria biloba)などの
海岸性植物生えています。
こうした植生の微細な変化に

強く興味を引かれました。


 

















野帖 1:
浜街道(県道広野小高線)の

整備範囲を把握するために描いた図。


 


















野帖 2:
浜街道沿線の概要を簡単に描きとめた図。



 














野帖 3:
相馬藩中村城下の絵図を写したもの。
同藩の都市計画から

当道路整備について学べないかと
一つひとつ道路線形と区域の用途の
意味を考えながら描いています。


 















野帖 4:
相馬藩下の建築と土木について調べつつ

作成したページ。
石置き屋根や野馬土手に関した

記述があります。


 














野帖 5:
上から楢葉町の木戸宿を

江戸時代に描いた絵の模写、
湊昭男氏所蔵の駕籠、
日本鉄道海岸線路略図の模写。
交通を主題に作成したページ。